心の病とくくるの乙女
統合失調症の浮き沈み
2月10日
Aさん
うるとらまんさん、ユンケルは仕事ができる状況ではありません。
病院としては当分の間、仕事を控えさせてほしい。
うるとらまん
そんなに悪いのですか?
Aさん
うるとらまんさん、 このことはよく覚えてほしいのですが、精神の障害の場合には個人差がありマイケルには大丈夫でもユンケルも大丈夫とはかぎりま せん。 薬も強いのに変えました。元にもどるのにかなり時間かかります。
うるとらまん
わかりました。病院の指示にしたがいます。
うるとらまん
ごめんな。ユンケル、病院が今は仕事はダメといわれた。
ユンケル
くくるで働きたい。くくるで仕事したい。
うるとらまん
でも病院からの許可がないと・・・・・。
ユンケル
くくるは楽しい。くくるに行きたい。
うるとらまん
よし、わかった。ユンケルのお医者さんにあって願いしてみよう。
ユンケル
ほんとですか。ありがとう。
病院で話し合いましたが病院はNOでした。ユンケル寂しそうでした。今はダメだけど、もう少ししたら大丈夫かもしれない。
希望だけはありました。ユンケル、人生は楽しく行こうぜ!
ユンケル復活
8月11日
ユンケルが久しぶりに友人と一緒にくくるにきてくれたよ。
彼が去年の暮れにくくるで働きたいと言い出した。
だけど、仕事はやる気満々だったが、一ヶ月ぐらいで薬が合わなくてドクターストップがかかってしまった。
でも彼の心は折れなかった。入院もした。通院しながら、くくるで働く思いは捨てなかった。
最近、やっと、彼に合う薬が処方された。
また、くくるで働きたいと言ってくれた。
なんで働きたいのと聞いたら、お姉さんに美味しい料理を作ってあげたいとのことだ。
姉も心の病(1級)を持っている。身の回りの世話は、ユンケルがしている。
両親は早くなくなり、兄弟二人で暮らしている。
昼は病院で食事、夜は冷凍食品で簡単に済ましているとのことだ。
くくるの食事はうまい。こんな料理を姉に作ってあげたいて。
医者の許可が必要だと話したら、医者に相談してみると、すぐに病院に相談しにいきました。 。
ただ、薬の副作用なのか、アル中のように手が震えている。
薬の微調整が必要とユンケル話していた。
彼の思いを実現させたいな。
8月20日
わくがみさんのテンポの説明にわかりやすい、勉強になったと謙虚なユンケルだ。
ユンケル、わくがみさんから、何かを得ようと、しきりに、わくがみさんに話しかけていた。
こんなに積極的なユンケルはみたことがない。
わくがみさんからコメがきました。紹介します。
こんにちは♪
僕は過去『鬱病』で3年余り苦しんで来ました。
それをバネにカウンセラーの勉強もさせて頂きました
だから、ユンケルさんの『見えない敵との戦い』が少しだけ共感出来ます。
うるとらまんさんの言う通り、一歩ずつです。
僕も今に至る迄『一歩ずつ』でしたから(笑)
純粋で素敵な『ユンケルさん』と、これからも友達として仲良く、そして互いに成長出来れば嬉しい限り
今後も二人の『夢』の応援を、皆様で宜しくお願い致します!!
との心温まるコメでした。
わくがみさんの穏やかな、ゆっくりとした話し方、わくがみさんの慈愛のこもった振る舞い、
それはご自身が心の病で苦しんだ経験、それを分かち合い、共に、夢に向かって歩んでほしいと思いからきていることを。
ユンケルは、わくがみさんの思いを命で感じたと思います。
8月27日
ユンケルからメールがきた。 薬調整して体調がとてもよいです!これで、くくるの手伝いできそうです。
薬の調整必要だ。手のふるえがとまらない。先週は薬調整して振るえがとまったが、落ち着かない。微調整必要だ。
ユンケル、くくるで働くために、頑張っているんだな。医者に、伝えること、うまくできないとぼやいていた。
その彼が、一生懸命に医者に話している姿を思うと涙でてくるよ。
8月31日
今日はユンケルが純子さんにドラムでテンポの取り方を教えてくれました。
純子さん、ユンケルがドラム演奏する姿にかっこいいの連発でした。
ユンケルも教えることが好きと楽しそうでした。
人は人に喜んでもらえることが一番の生きがいだとおもいました。

琉球新報にくくるバンドが掲載されています。
9月
日曜日
うるとらまん
おーい、元喜か?
ユンケル
元喜じゃない。薬がきれた。薬がない。
うるとらまん
今日は日曜日か。明日、病院いけよ。
ユンケル
明日、病院いく。
月曜日
うるとらまん
病院いったか。
ユンケル
いった。薬もらった。もう元喜。
うるとらまん
ほんと、元喜な声しているね。薬が切れる前に病院いけよ。
薬の管理は大事だなと一つ勉強したうるとらまんでした。
ユンケル
くくるの曲を作った。聞いてくれますか?
わくがみ
いいよ。
ユンケル、エレキを弾きだしました。真剣に聞き入るわくがみさんでした。
9月24日七転びチャークルビー
3ヶ月前、病院に3人とも入院していたときは90歳の元気のないおじいちゃんのようだった。
この調子でいけば最高なんだが・・・。急に調子が狂うことを心配した。
Aさん
急に調子が悪くなること多いです。前兆なんかわからない。
パニックなったとき、親からキチガイといわれたのをおぼえている。 医者も私の病気はよくわからないみたいみたいだ。
うるとらまん
医者がわからないんじゃ大変じゃん。
Aさん
医者も試しに薬をあげてダメなら薬にかえるの繰り返しだよ。
Kさん
それはありますね。どうしてだかわからないけど落ち込んでしまうんです。
わくがみさん
落ち込んでもいいんじゃないの。人生は七転びチャークルビー
(転んでばかりいることの意味の沖縄方言)だから。落ち込んだら休んで、また、歩きだせばいいとおもうよ。
七転びチャークルビーをきいて
ある書道家の言葉
失敗してもいいじやない
人間なんだから
をおもいだした。
健常者でも落ち込むことはある。
障害ある人ない人関係ない。 人間だから、失敗すること、落ち込むことはあたりまえなんだ。
落ち込んだら、ゆっくり休んでもいいから、また、歩き出すことだと思いました。
9月 ユンケルンネーネー
ユンケルネーネーとは去年、初めて顔を会わした。 元喜ねと声をかけるが無表情で返事はなかった。
いつも眠そうな顔していた。
8月頃、西口先生の遊書ライブの話をした。
彼女が初めて「字は好き」と答えてくれた。{元気?」と挨拶して30回目ぐらいで始めての会話だった。
西口先生は丹精こめて彼女に字を書いてくれた。
彼女は字の意味はよくわからないと言った。ユンケルがお姉さんには難しい書といった。
でもユンケルネーネーの顔には、何かがはじけたような晴れ晴れとした顔をしていた。
それから、しばらくして会った。
ケントミさんのCDを毎日聞いているとのことだ。詩がすばらしいと喜んでいた。
ケントミさんのCDで一番すきなのが「時をみつめて」の曲だそうだ。
ユンケルがわくがみさんと、まるで昔からの友達であるかのように楽しそうに話していた。
ユンケルがこんなに初対面の人と話をするのは見たことがない。
その二人の楽しそうな会話を、ユンケルネーネー黙って聞いていた。
うどんちゃんが彼女に声をかけた。初めはポツリポツリ断片的だった。
うどんちゃん、何度でも彼女に話しかけた。
そして先々週の土曜日うどんちゃんが彼女に話しかけた。 驚いた。「なーに」と顔を振り向きながら答えたのだ。
私は涙をこらえるのが精一杯だった。 彼女の劇的変化に同じ病院の友人が号泣していた。
彼女は明るくなった理由はくくるが楽しいからと友人に答えているとのこと。
来週の日曜日に福祉祭りにく出演するけど、楽器なんかしてみないと彼女に相談した。
タンバリンをやってみたいとの返事だった。
鳥肌がたつような感動が私の全身を駆け巡った。 彼女が、やりたいことを意思表示したのは、ものすごい勇気が必要だったと思う。
10月1日

今日はくくるバンドの練習日でした。
いよいよ、明日は宜野湾市の福祉祭りのステージに立ちます。
メチャクチャうれしいことがありました。
ユンケルネーネーが今日は皆と一緒にタンバリンをたたいてくれたことです。
最初は無表情で座っていた彼女が、先日は座敷からタンバリンを叩き、今日は皆と一緒に叩いていました。
「くくるは楽しい。くくるの仲間は楽しい」 と話していた。
ユンケル緊張で寝ていないようだ。 ボーとして全く元喜がなかった。
明日は参加は無理だと思った。
当日の朝、恐る恐るユンケルに電話しました。
ユンケルは元喜な声で「もうすこしで、会場につきますよ}との返事でした。
集合時間に一時間以上も早いです。 やる気満々でした。 昨日のユンケルとは別人でした。
大会当日は全員黒のTシャツをきることになっていました。
ユンケルネーネーをみて驚いた。黒のTシャツを着ているのだ。
舞台にあがるの???
まさか、そんなことはない。
あんなに心を閉ざしていた彼女が舞台にあがることはない。
まさかが実現した。
彼女は舞台に立ち、楽しそうにタンバリンを叩いている。
涙が止まらなかった。皆んな泣いていた。
彼女はこれ以上ない満面の笑顔だった。
10月16日 沖繩市福祉祭り

10月16日、日曜日、沖縄市福祉祭りにMsくくるバンド参加しました。
聾者のドラム担当の純子さん、テンポを頭に描き体で覚えて耳が聞こえないハンデイを乗り越えてきましたが宜野湾市福祉祭りでは緊張ではじめからテンポが狂い、それが最後まで続きました。
そこで今回は間違えたらやり直しをすることを考えていました。
実際、出だしでつまづき、やり直しました。ユンケルネーネーは今回もタンバリンを演奏してくれました。
ユンケルは今回もよく眠れなかったと本番前、厳しい状況でしたが舞台にあがるとかっこよく演奏していました。
10月24日
ユンケルは宜野湾市、沖縄市の福祉祭りの前日はよく眠れなかった。
眠れないことは彼には一番の敵です。病院の職員に事情を説明しました。
健常者でもイベントの前は緊張するものです。私も明日から韓国いくので昨日は眠れなかったです。
イベント終わっても眠れたら問題ありません。緊張したら眠れなくなるのは健常者も病気持っている方も同じです。
私は安堵した。彼は、祭りの後はぐっすり眠れた。
10月29日
ユンケルから電話があった。
ネーネーが朝、味噌汁作ってくれたとのことです。
ネーネーが作る味噌汁はおいしかったと喜びの電話でした。
11月11日
最近、頻繁にユンケルから電話がくる。
内容は「・・・・でありがとう」とありがとうの言葉が多くなってきた。
先日はミラクル(旧姓ユンケルネーネー)がアーサー汁を作ってくれたと喜びと周りの方々への感謝の電話でした。
20年ぶりに味噌汁をミラクルが作り、今度はアーサー汁を作ってくれた。
10月15日
ユンケルの通院が週一回から月一回になり ユンケルがくくるで働くことを病院、保健所が正式に許可がおりました。
ユンケル、本当によくがんばりました。
職員は語りました。
完全に完治は難しいと思いますが、今後、薬の量が減り、発病前の健康な状態に近づくことは可能と思います。
彼は健康管理は自分でできています。
薬を自己判断で減らすとどうなるか、彼はわかっています。 薬の管理、睡眠が大事です。
日中嫌なことがあり、それで眠れなくなることありますので要注意です。
11月13日
保健所職員とユンケルのことで話し合いした。
ユンケルは仕事(厨房での洗い物など)より、音楽をくくるでやらせてほしいと職員の皆さんにお願いした。
ユンケルに大切なのは、まず、家に引きこもることからの脱却だと思ったからだ。
エレキを演奏しているときの彼は生き生きとしていが皿洗いは5分がやっとだったが一ヶ月で1時間の皿洗いができるようになっていた。
音楽の力はすごいな!
11月13日
ユンケルが純子さん英子さんににドラムの叩き方を教えていました。
コミニケーションの問題がありました。
ユンケルは純子さんの手話を注意深く観察し自然に手話を覚えていきました。
私がくくるをオープンした理由はそこにありました。
健常者中心の社会で聾者が健常者にあわそうとして疲れている。お互いに歩み寄ってほしいとの思いがありました。
薬の影響による怠慢な行動するユンケルを聾者のスタッフは遠まわしに見ていました。
ところがユンケルが手話を覚えてくれたことで心を開きました。
音楽を教えてくれることに尊敬さえ抱くようになりました。
彼は、手話を覚え、耳の聞こえない聾者にテンポをどうやって教えたらいいのか悩みながらも汗だくになって教えていました。
教えるたびにユンケルは元喜になりました。
11月20日~24日
ユンケルは姉のことを一番に考えて行動している。 ユンケルは昨日までできたことができなくなっていく姉をどこまでもやさしく介護していた。
くくるでは、ユンケルが仕事している間、ただ、黙って座っていた。
私は、座りぱなしは疲れると思い、倉庫を整理してベットをおいてミラクルの休む場所を作った。
でも、それでは彼女は眠ってばかしいることに気づいた。掃除してくれるようお願いした。
5分掃除したらグタッとなり座り込んでいた。ゼロと5分の違いは大きいと思う。
ミラクルの一言が忘れられない。「これならできる。掃除できる」
すこしづつ、掃除ができるようになった美良来流(ミラクル)に皿洗いをお願いした。 。
美良来流とユンケルの会話です。
ユンケル
「皿洗いできたの?」
美良来流
「できた。一枚も割らずにできた」
一枚も割らずにできたと喜んでいる彼女みてうれしくなった。
バンドの練習後、ミーテイングをした。
美良来流に楽器ができないかの話し合いになった。
彼女は小学校の頃、2年間ほどピアノを習っていた。
ピアノやってみる? と尋ねると黙ってピアノを弾き始めた。
練習は5分で終わった。
次の日、ユンケルがんニコニコしていた。
昨日、練習30分したとのことだ。
上を向いて歩こうよを演奏してくれた。
薬の影響であろうか、指に力がなかった。
でも一生懸命にピアノを弾いていた。
スタッフの皆、彼女の一生懸命さに涙がでてきた。
上を向いて歩いていこうね!
いつの日か、みなさんに聞いてもらえる日を夢みて!
うどんちゃんと美良来流がくくるで何か話しをしていました。
突然、美良来流の大きな笑い声が聞こえました。
無表情無感動であった彼女が大笑いするまでになりました
うどんちゃんが驚いた声で話した。
「あれー美良来流、上を向いている。いつも下ばかし向いていたのに」
うるとらまん
「ほんとだ。どうしたの」
美良来流
「楽しいのに」
美良来流はうどんちゃんが大好きだ。うどんちゃんに会うたびに元喜になってきた。
声をかけると挨拶を返すようになり、大笑いするようになり、今度は胸を張って上をむいて歩くようになったよ。
来週の月曜日(毎週月曜日はうどんちゃんとユンケルのライブの日です)美良来流も参加することになりました。

11月28日 ミラクルデビュー
今日は美良来流の初デビューの日です。
さーやるぞとの意気込みが体中から湧き出ていました。
上を向いて歩こうよを演奏しました。
美良来流は一生懸命でした。客様から暖かな拍手が鳴り響きました。医者からも極度の自閉症で家からでることもきわめて困難と言われていた彼女が
上を向いてく歩きだしました!
12月1日~7日 美容室
うるとらまん
「来月、美良来流が大変お世話になった先生がわざわざ内地からくるよ。何かプレゼントしたいね」
Aさん
「・・・・ができるといいね」
うるとらまん
「よし、・・・・でいこうよ。内面の美しさはこれでいいね。外面も変えたいな」
お客様(美容室経営)
「じゃ、私が髪をセットしてメイクするさ。お金はいらない」
鏡をみたことがなく化粧をしたことのない彼女です。美容室は30年前に一度いっただけです。
自慢だけどくくるのお客様は最高!
どんな気持ちなんだろう?
彼女が変化を求めてきた。彼女がきれいになった姿を想像するだけで心が躍ります。
朝のことです。
美容室で髪をセットしてもらいきれいになった美良来流です。
ズボンをみてびっくり、ジーパンをはいています。初月給で姉にジーパンを ユンケルがプレゼントです。
「きれいになったね」と言われ「ありがとう」と返事した美良来流です。
母が亡くなり美良来流は「ありがとう」の言葉はいったことはありませんでした。
美良来流
お化粧するようになりました。
鏡をみることがなかった彼女が化粧までするようになった姉をみてユンケルはこみ上げるうれしさで涙をこらえていました。
先日は私の友人が美良来流に洋服のプレゼントしてくれました。
髪をセットしてくれる人、メイクしてくれる人、洋服をプレゼントしてくれる人、ピアノを教えてくれる人と美良来流応援団が増えてきました。
美良来流の頑張りに応援したくなるんだね。
5分間の皿洗いを一枚も割らずにできたとの自信から、できることが広がっていきました。
12月19日くくるとくくる
21日の西口賢治遊書ライブでの練習頑張りました。
聾者の純子さんのドラムと心の病ある美良来流のピアノが見事に調和しました。
言葉が通じないハンデイを心の病あるメンバーが手話を覚えてくれました。
心の病ある人の微妙な心理の変化を耳の聞こえない人が理解しょうと努めてくれました。
お互いに心を分かちあい、心を一つにしたときに耳が聞こえないハンデイと不安定なこころのハンデイを乗り越えることができました。
最後は心でした。
12月25日の琉球新報にくくるバンドが掲載されています。
center>
内容を要約して紹介します。
支え合い奏でる”奇跡”
ろうあ者と統合失調症患者でつくるくくるバンド
心に刻むリズム 体で表現
聴覚障がい者と統合失調症患者が北中城村和仁屋の手話カフエくくるを拠点に、お互いに支えあいながら音楽演奏に取り組んでいる。
音楽とは無縁だと思っていた耳の聞こえない女性がリズムを刻んで踊り、心の病で外出できなかった姉弟が人前で演奏することで回復に向こうという奇跡の音楽を奏でている。
くくるバンドは今年2月に結成されの聴覚障がい者Mさん(聴覚障がい者)Aさん(聴覚障がい者)統合失調症のU(統合失調症)きょうだいとMsの平安さん、伊波さんが演奏を支援する。
ボランテイアで音楽指導しているのはサウンドデザイナーの湧上さんで毎週水曜日に練習を重ねている。
湧上さんは純子さんから「音楽はきらいだ」と聞かされ「だったら好きにさせてみたい」と思い、純子さんにドラム演奏などを指導している。
Uきょうだいは昨年夏に同カフエを訪れた。それを機に15年間外出できなかったUさんは今年8月から店で働くようになった。
最初は5分しか続けられなかった皿洗いも今では一時間以上こなしている。
姉のUさんも26年間自宅に引きこもっていたが、現在は毎週月曜日の昼に同店でピアノを弾いている。
練習ではUきょうだいが独学で学んだ手話で聴覚がい害者の女性3人に演奏を助言するなどして互いに支えあって技術を高めている。
女性たちは耳が聞こえないものの、刻まれるリズムの鼓動を体で感じて踊りも披露できるようになった。
琉球新報のコラム金口木舌にくくるバンドが紹介されていますよ。

~金口木舌~(琉球新報 2011年12月28日)
あるロックバンドの演奏を聴いた時のこと。演奏技術も歌唱力も申し分ない。でも心に何も響いてこない。なぜだろう。歌手は終了後、客席に目もくれず無愛想のまま会場を後にした。
▼商売だけで舞台に立っているようだった。感動しない理由が後日理解できた。正反対の出来事に遭遇したからだ。ぎこちない楽器の扱いと歌なのに人々が涙を流しながら聴いている。
▼耳の不自由な女性たちが振動だけを頼りにドラムをたたき、踊る。統合失調症の姉弟がピアノとギターを弾いていた。北中城村和仁屋の手話カフェくくるに集まる人々で結成した「くくるバンド」の演奏だ。
▼週に一度の練習では、病で長年自宅に引きこもっていたきょうだいが、手話を学んで聴覚障がいの女性の演奏を手助けする。女性たちは自宅を出て店に顔を見せることができた2人を励ましてきた。
▼足りないところを互いに支え合う思いやり。その気持ちが音色に溶け込んで聴衆の心に届いていたのだろう。音楽は嫌いと思っていた女性が今では笑顔で「心地よい響きが安らぐ」とスティックを握る。
▼「感情のない世界で生きてきたが、初めて楽しい気持ちが芽生えてきた」と語る姉。幻聴が聞こえなくなった弟は「私には音楽があり、仲間がいる」と言い切った。奏でる姿にレンズを向けていたら、音楽の持つ力と奇跡を感じ、熱いものが込み上げてきた。


2012年1月5日
近くの高校生が応援にきてくれました。
18日、東京から高校生が修学旅行でくくるにきます。
昭和の高校生の私達です。現代の高校生のフイーリングがわかりません。
そこでバンド経験ある高校生にアドバイスしてもらいました。
高校生からみてもおもしろいとのこと。
がんばるぞ。
1月18日 東京都立中央ろう学校修学旅行生の前で ユンケルとミラクルが堂々とスピーチしました。
こんにちは。ユンケルです。
私は中学高校はサッカーで体を鍛え卒業後は水道工事などの仕事をしていましたが23歳の頃、神経質になりすぎて心のバランスが崩れ統合失調症となり家から出ることができなくなりました。
病院の職員が何度も家庭訪問してくれました。
私が病院のデイケアーにいけるようになるまで10年かかりました。
去年の夏ごろ、くくるに来ました。
くくるの自然環境と穏やかな雰囲気に、ここで働きたいと思いました。
でも、病院は働くことを許可してくれませんでした。
病気になり、働いたことがなく、5月には入院していました。
それでも私は、自立したい、働きたいと思いました。
手のしびれが止まりませんでした。
すぐに病院にいき、薬を調整してもらい手のしびれは止まりました。しかし、その薬の副作用で落ち着きがなくなりました。
病院にいき調整してもらいました。
自分に合う薬に出会うまで何度も病院に通いました。
医者は、薬の管理ができるようになった私を働くことの許可をしてくれました。
9月に宜野湾市福祉祭りにくくるバンドで出演することになりました。
それに向けてみんなと一生懸命練習しました。わくがみさんから音楽を教えてもらえることは、一番の楽しみでした。わくがみさんの音楽理論、技術に新鮮な驚きがありました。
15年間、家からでることができなかった私が、わくがみさんに会えることが楽しくなり、家から出ることが楽しくなりました。
耳が聞こえなくても、ドラムの響きで音を体で感じ、あきらめない純子さん、英子さんに、心に響くものがありました。
最初は5分の皿洗いも辛かった私ですが、今では一時間皿洗いできるようになりました。
くくるにきて、あれほど辛かった幻聴、幻想は一度もありません。眠れない日々が続くこともありません。
しかし、薬なしでは、眠ることができません。病気との闘いは続きます。
私には音楽があります。仲間がいます。応援していただける皆様がいます。夢があります。みなさんの激励のおかげで家からでることが一番の目標だった私が、毎日、くくるにきています。
これからも、ゆっくり、ゆっくりですが、一ミリでも前に進んでいきたいと思いますので応援宜しくお願いします。
こんんちは美良来流です。
私は17歳の時、不眠症から心の病となりました。
高校は中退し母親と買い物行く以外は家に引きこもるようになりました。
平成15年に母が亡くなり弟と二人だけになりました。
一緒に買い物にいく母が亡くなり精神障害1級になりました。
無気力で喜ぶこと泣くこと感情のない世界に生きてきました。
去年の夏頃、くくるにきてうどんちゃんとの出愛いがありました。
うどんちゃんは私がどんなに無視をしても「ネーネー元喜ねー」といつもやさしく声をかけてくれました。うどんちゃんの明るさと思いやりに凍りついていた私の心がすこしづつ溶け出してきました。
うどんちゃんと会えることが楽しくなりました。
病気になって初めて楽しいとの気持ちが芽生えました。
9月に宜野湾市福祉祭りにくくるバンドとM‘sで参加することになりました。
私も仲間に入れてほしい、音楽をしたいとおもいましたが誰も声をかけてくれませんでした。
私には無理、無理をさせてはいけないと思っていたと思います。
そんなある日、うどんちゃんが「やってみる、無理しなくていいよ」とタンバリンを差し出してくれました。
最初はみんなの輪にはいることはできませんでした。みんなと離れたところでタンバリンを練習していました。
でも音楽が楽しくなり、気が付いたらみんなと一緒に練習していました。
病気になってお化粧したことも鏡もみたことありません。いつも青いジャージにトレパンでした。そんな私をくくるのお客様が私にパーマ、メイクしてくれました。
30年ぶりの美容室でした。私の部屋に化粧水、ムースなどが増えてきて外出するときは鏡を見るようになりマネキュアするようになりました。
くくるのスタッフが「きれいになったね」と言ってくれました。
「ありがとう」とお礼を言いました。
この10数年、ありがとうの言葉をいったことはありませんでした。
最近、ピアノを練習始めました。一分の練習でも頭がボーとしました。でも楽しいんです。
仲間と練習すると音楽が楽しいんです。いつの間にか頭がボーとすることもなく1時間練習できるようになりました。
最近、よく眠れるようになりました。30年間の眠れない辛さ、どうすることもできなかった心の病の苦しみが遠い過去になろうとしています。
薬も以前の半分になりました。
激励してくださった皆様のおかげで幸せになりたいと思うようになりました。幸せなど考えたことありませんでした。
私の夢は病気に負けないことです。その思いを(上を向いて歩こうよ)をピアノでひきます。
聞いてください。


テレビで紹介されました。
center>
沖縄タイムス、琉球新報に掲載されています。
1月19日~2月15日
放映直後にユンケルから電話があった。
うるとらまん
「テレビみたよ 」
ユンケル
「ありがとう。緊張したけど話せました」
うるとらまん
「あれだけ堂々と話せたらすごいよ」
ユンケル
「自分も話せるとは思わなかった」
うるとらまん
「美良来流にかわって」
美良来流
「はーい}
うるとらまん
「元喜いいね。テレビかっこよかったよ。みんなびっくりしているだろう」
美良来流
「はーい」
美良来流、元喜な声で答えていた。
美良来流、ユンケルは良く頑張ってくれた。夜は外出を控え睡眠をしっかりとり、薬の管理も徹底していた。
しかし
美良来流、ユンケルは風邪をこじらせてしまった。
自分は姉、自分ががんばらなくてはとの気持ちが彼女の微妙な心のバランスを崩してしまった。
姉思いのユンケルも姉のことを心配して調子を崩してしまった。
本当に二人の心はきれいだ。きれい過ぎて調子が狂ってしまった。
寒い2月、外出することは彼らには負担が大きい。そこで2月は休んでもらうことにした。
Aさん
うるとらまんさん、ユンケルは仕事ができる状況ではありません。
病院としては当分の間、仕事を控えさせてほしい。
うるとらまん
そんなに悪いのですか?
Aさん
うるとらまんさん、 このことはよく覚えてほしいのですが、精神の障害の場合には個人差がありマイケルには大丈夫でもユンケルも大丈夫とはかぎりま せん。 薬も強いのに変えました。元にもどるのにかなり時間かかります。
うるとらまん
わかりました。病院の指示にしたがいます。
うるとらまん
ごめんな。ユンケル、病院が今は仕事はダメといわれた。
ユンケル
くくるで働きたい。くくるで仕事したい。
うるとらまん
でも病院からの許可がないと・・・・・。
ユンケル
くくるは楽しい。くくるに行きたい。
うるとらまん
よし、わかった。ユンケルのお医者さんにあって願いしてみよう。
ユンケル
ほんとですか。ありがとう。
病院で話し合いましたが病院はNOでした。ユンケル寂しそうでした。今はダメだけど、もう少ししたら大丈夫かもしれない。
希望だけはありました。ユンケル、人生は楽しく行こうぜ!
ユンケル復活
8月11日
ユンケルが久しぶりに友人と一緒にくくるにきてくれたよ。
彼が去年の暮れにくくるで働きたいと言い出した。
だけど、仕事はやる気満々だったが、一ヶ月ぐらいで薬が合わなくてドクターストップがかかってしまった。
でも彼の心は折れなかった。入院もした。通院しながら、くくるで働く思いは捨てなかった。
最近、やっと、彼に合う薬が処方された。
また、くくるで働きたいと言ってくれた。
なんで働きたいのと聞いたら、お姉さんに美味しい料理を作ってあげたいとのことだ。
姉も心の病(1級)を持っている。身の回りの世話は、ユンケルがしている。
両親は早くなくなり、兄弟二人で暮らしている。
昼は病院で食事、夜は冷凍食品で簡単に済ましているとのことだ。
くくるの食事はうまい。こんな料理を姉に作ってあげたいて。
医者の許可が必要だと話したら、医者に相談してみると、すぐに病院に相談しにいきました。 。
ただ、薬の副作用なのか、アル中のように手が震えている。
薬の微調整が必要とユンケル話していた。
彼の思いを実現させたいな。
8月20日
わくがみさんのテンポの説明にわかりやすい、勉強になったと謙虚なユンケルだ。
ユンケル、わくがみさんから、何かを得ようと、しきりに、わくがみさんに話しかけていた。
こんなに積極的なユンケルはみたことがない。
わくがみさんからコメがきました。紹介します。
こんにちは♪
僕は過去『鬱病』で3年余り苦しんで来ました。
それをバネにカウンセラーの勉強もさせて頂きました
だから、ユンケルさんの『見えない敵との戦い』が少しだけ共感出来ます。
うるとらまんさんの言う通り、一歩ずつです。
僕も今に至る迄『一歩ずつ』でしたから(笑)
純粋で素敵な『ユンケルさん』と、これからも友達として仲良く、そして互いに成長出来れば嬉しい限り
今後も二人の『夢』の応援を、皆様で宜しくお願い致します!!
との心温まるコメでした。
わくがみさんの穏やかな、ゆっくりとした話し方、わくがみさんの慈愛のこもった振る舞い、
それはご自身が心の病で苦しんだ経験、それを分かち合い、共に、夢に向かって歩んでほしいと思いからきていることを。
ユンケルは、わくがみさんの思いを命で感じたと思います。
8月27日
ユンケルからメールがきた。 薬調整して体調がとてもよいです!これで、くくるの手伝いできそうです。
薬の調整必要だ。手のふるえがとまらない。先週は薬調整して振るえがとまったが、落ち着かない。微調整必要だ。
ユンケル、くくるで働くために、頑張っているんだな。医者に、伝えること、うまくできないとぼやいていた。
その彼が、一生懸命に医者に話している姿を思うと涙でてくるよ。
8月31日
今日はユンケルが純子さんにドラムでテンポの取り方を教えてくれました。
純子さん、ユンケルがドラム演奏する姿にかっこいいの連発でした。
ユンケルも教えることが好きと楽しそうでした。
人は人に喜んでもらえることが一番の生きがいだとおもいました。
琉球新報にくくるバンドが掲載されています。
9月
日曜日
うるとらまん
おーい、元喜か?
ユンケル
元喜じゃない。薬がきれた。薬がない。
うるとらまん
今日は日曜日か。明日、病院いけよ。
ユンケル
明日、病院いく。
月曜日
うるとらまん
病院いったか。
ユンケル
いった。薬もらった。もう元喜。
うるとらまん
ほんと、元喜な声しているね。薬が切れる前に病院いけよ。
薬の管理は大事だなと一つ勉強したうるとらまんでした。
ユンケル
くくるの曲を作った。聞いてくれますか?
わくがみ
いいよ。
ユンケル、エレキを弾きだしました。真剣に聞き入るわくがみさんでした。
9月24日七転びチャークルビー
3ヶ月前、病院に3人とも入院していたときは90歳の元気のないおじいちゃんのようだった。
この調子でいけば最高なんだが・・・。急に調子が狂うことを心配した。
Aさん
急に調子が悪くなること多いです。前兆なんかわからない。
パニックなったとき、親からキチガイといわれたのをおぼえている。 医者も私の病気はよくわからないみたいみたいだ。
うるとらまん
医者がわからないんじゃ大変じゃん。
Aさん
医者も試しに薬をあげてダメなら薬にかえるの繰り返しだよ。
Kさん
それはありますね。どうしてだかわからないけど落ち込んでしまうんです。
わくがみさん
落ち込んでもいいんじゃないの。人生は七転びチャークルビー
(転んでばかりいることの意味の沖縄方言)だから。落ち込んだら休んで、また、歩きだせばいいとおもうよ。
七転びチャークルビーをきいて
ある書道家の言葉
失敗してもいいじやない
人間なんだから
をおもいだした。
健常者でも落ち込むことはある。
障害ある人ない人関係ない。 人間だから、失敗すること、落ち込むことはあたりまえなんだ。
落ち込んだら、ゆっくり休んでもいいから、また、歩き出すことだと思いました。
9月 ユンケルンネーネー
ユンケルネーネーとは去年、初めて顔を会わした。 元喜ねと声をかけるが無表情で返事はなかった。
いつも眠そうな顔していた。
8月頃、西口先生の遊書ライブの話をした。
彼女が初めて「字は好き」と答えてくれた。{元気?」と挨拶して30回目ぐらいで始めての会話だった。
西口先生は丹精こめて彼女に字を書いてくれた。
彼女は字の意味はよくわからないと言った。ユンケルがお姉さんには難しい書といった。
でもユンケルネーネーの顔には、何かがはじけたような晴れ晴れとした顔をしていた。
それから、しばらくして会った。
ケントミさんのCDを毎日聞いているとのことだ。詩がすばらしいと喜んでいた。
ケントミさんのCDで一番すきなのが「時をみつめて」の曲だそうだ。
ユンケルがわくがみさんと、まるで昔からの友達であるかのように楽しそうに話していた。
ユンケルがこんなに初対面の人と話をするのは見たことがない。
その二人の楽しそうな会話を、ユンケルネーネー黙って聞いていた。
うどんちゃんが彼女に声をかけた。初めはポツリポツリ断片的だった。
うどんちゃん、何度でも彼女に話しかけた。
そして先々週の土曜日うどんちゃんが彼女に話しかけた。 驚いた。「なーに」と顔を振り向きながら答えたのだ。
私は涙をこらえるのが精一杯だった。 彼女の劇的変化に同じ病院の友人が号泣していた。
彼女は明るくなった理由はくくるが楽しいからと友人に答えているとのこと。
来週の日曜日に福祉祭りにく出演するけど、楽器なんかしてみないと彼女に相談した。
タンバリンをやってみたいとの返事だった。
鳥肌がたつような感動が私の全身を駆け巡った。 彼女が、やりたいことを意思表示したのは、ものすごい勇気が必要だったと思う。
10月1日

今日はくくるバンドの練習日でした。
いよいよ、明日は宜野湾市の福祉祭りのステージに立ちます。
メチャクチャうれしいことがありました。
ユンケルネーネーが今日は皆と一緒にタンバリンをたたいてくれたことです。
最初は無表情で座っていた彼女が、先日は座敷からタンバリンを叩き、今日は皆と一緒に叩いていました。
「くくるは楽しい。くくるの仲間は楽しい」 と話していた。
ユンケル緊張で寝ていないようだ。 ボーとして全く元喜がなかった。
明日は参加は無理だと思った。
当日の朝、恐る恐るユンケルに電話しました。
ユンケルは元喜な声で「もうすこしで、会場につきますよ}との返事でした。
集合時間に一時間以上も早いです。 やる気満々でした。 昨日のユンケルとは別人でした。
大会当日は全員黒のTシャツをきることになっていました。
ユンケルネーネーをみて驚いた。黒のTシャツを着ているのだ。
舞台にあがるの???
まさか、そんなことはない。
あんなに心を閉ざしていた彼女が舞台にあがることはない。
まさかが実現した。
彼女は舞台に立ち、楽しそうにタンバリンを叩いている。
涙が止まらなかった。皆んな泣いていた。
彼女はこれ以上ない満面の笑顔だった。
10月16日 沖繩市福祉祭り

10月16日、日曜日、沖縄市福祉祭りにMsくくるバンド参加しました。
聾者のドラム担当の純子さん、テンポを頭に描き体で覚えて耳が聞こえないハンデイを乗り越えてきましたが宜野湾市福祉祭りでは緊張ではじめからテンポが狂い、それが最後まで続きました。
そこで今回は間違えたらやり直しをすることを考えていました。
実際、出だしでつまづき、やり直しました。ユンケルネーネーは今回もタンバリンを演奏してくれました。
ユンケルは今回もよく眠れなかったと本番前、厳しい状況でしたが舞台にあがるとかっこよく演奏していました。
10月24日
ユンケルは宜野湾市、沖縄市の福祉祭りの前日はよく眠れなかった。
眠れないことは彼には一番の敵です。病院の職員に事情を説明しました。
健常者でもイベントの前は緊張するものです。私も明日から韓国いくので昨日は眠れなかったです。
イベント終わっても眠れたら問題ありません。緊張したら眠れなくなるのは健常者も病気持っている方も同じです。
私は安堵した。彼は、祭りの後はぐっすり眠れた。
10月29日
ユンケルから電話があった。
ネーネーが朝、味噌汁作ってくれたとのことです。
ネーネーが作る味噌汁はおいしかったと喜びの電話でした。
11月11日
最近、頻繁にユンケルから電話がくる。
内容は「・・・・でありがとう」とありがとうの言葉が多くなってきた。
先日はミラクル(旧姓ユンケルネーネー)がアーサー汁を作ってくれたと喜びと周りの方々への感謝の電話でした。
20年ぶりに味噌汁をミラクルが作り、今度はアーサー汁を作ってくれた。
10月15日
ユンケルの通院が週一回から月一回になり ユンケルがくくるで働くことを病院、保健所が正式に許可がおりました。
ユンケル、本当によくがんばりました。
職員は語りました。
完全に完治は難しいと思いますが、今後、薬の量が減り、発病前の健康な状態に近づくことは可能と思います。
彼は健康管理は自分でできています。
薬を自己判断で減らすとどうなるか、彼はわかっています。 薬の管理、睡眠が大事です。
日中嫌なことがあり、それで眠れなくなることありますので要注意です。
11月13日
保健所職員とユンケルのことで話し合いした。
ユンケルは仕事(厨房での洗い物など)より、音楽をくくるでやらせてほしいと職員の皆さんにお願いした。
ユンケルに大切なのは、まず、家に引きこもることからの脱却だと思ったからだ。
エレキを演奏しているときの彼は生き生きとしていが皿洗いは5分がやっとだったが一ヶ月で1時間の皿洗いができるようになっていた。
音楽の力はすごいな!
11月13日
ユンケルが純子さん英子さんににドラムの叩き方を教えていました。
コミニケーションの問題がありました。
ユンケルは純子さんの手話を注意深く観察し自然に手話を覚えていきました。
私がくくるをオープンした理由はそこにありました。
健常者中心の社会で聾者が健常者にあわそうとして疲れている。お互いに歩み寄ってほしいとの思いがありました。
薬の影響による怠慢な行動するユンケルを聾者のスタッフは遠まわしに見ていました。
ところがユンケルが手話を覚えてくれたことで心を開きました。
音楽を教えてくれることに尊敬さえ抱くようになりました。
彼は、手話を覚え、耳の聞こえない聾者にテンポをどうやって教えたらいいのか悩みながらも汗だくになって教えていました。
教えるたびにユンケルは元喜になりました。
11月20日~24日
ユンケルは姉のことを一番に考えて行動している。 ユンケルは昨日までできたことができなくなっていく姉をどこまでもやさしく介護していた。
くくるでは、ユンケルが仕事している間、ただ、黙って座っていた。
私は、座りぱなしは疲れると思い、倉庫を整理してベットをおいてミラクルの休む場所を作った。
でも、それでは彼女は眠ってばかしいることに気づいた。掃除してくれるようお願いした。
5分掃除したらグタッとなり座り込んでいた。ゼロと5分の違いは大きいと思う。
ミラクルの一言が忘れられない。「これならできる。掃除できる」
すこしづつ、掃除ができるようになった美良来流(ミラクル)に皿洗いをお願いした。 。
美良来流とユンケルの会話です。
ユンケル
「皿洗いできたの?」
美良来流
「できた。一枚も割らずにできた」
一枚も割らずにできたと喜んでいる彼女みてうれしくなった。
バンドの練習後、ミーテイングをした。
美良来流に楽器ができないかの話し合いになった。
彼女は小学校の頃、2年間ほどピアノを習っていた。
ピアノやってみる? と尋ねると黙ってピアノを弾き始めた。
練習は5分で終わった。
次の日、ユンケルがんニコニコしていた。
昨日、練習30分したとのことだ。
上を向いて歩こうよを演奏してくれた。
薬の影響であろうか、指に力がなかった。
でも一生懸命にピアノを弾いていた。
スタッフの皆、彼女の一生懸命さに涙がでてきた。
上を向いて歩いていこうね!
いつの日か、みなさんに聞いてもらえる日を夢みて!
うどんちゃんと美良来流がくくるで何か話しをしていました。
突然、美良来流の大きな笑い声が聞こえました。
無表情無感動であった彼女が大笑いするまでになりました
うどんちゃんが驚いた声で話した。
「あれー美良来流、上を向いている。いつも下ばかし向いていたのに」
うるとらまん
「ほんとだ。どうしたの」
美良来流
「楽しいのに」
美良来流はうどんちゃんが大好きだ。うどんちゃんに会うたびに元喜になってきた。
声をかけると挨拶を返すようになり、大笑いするようになり、今度は胸を張って上をむいて歩くようになったよ。
来週の月曜日(毎週月曜日はうどんちゃんとユンケルのライブの日です)美良来流も参加することになりました。
11月28日 ミラクルデビュー
今日は美良来流の初デビューの日です。
さーやるぞとの意気込みが体中から湧き出ていました。
上を向いて歩こうよを演奏しました。
美良来流は一生懸命でした。客様から暖かな拍手が鳴り響きました。医者からも極度の自閉症で家からでることもきわめて困難と言われていた彼女が
上を向いてく歩きだしました!
12月1日~7日 美容室
うるとらまん
「来月、美良来流が大変お世話になった先生がわざわざ内地からくるよ。何かプレゼントしたいね」
Aさん
「・・・・ができるといいね」
うるとらまん
「よし、・・・・でいこうよ。内面の美しさはこれでいいね。外面も変えたいな」
お客様(美容室経営)
「じゃ、私が髪をセットしてメイクするさ。お金はいらない」
鏡をみたことがなく化粧をしたことのない彼女です。美容室は30年前に一度いっただけです。
自慢だけどくくるのお客様は最高!
どんな気持ちなんだろう?
彼女が変化を求めてきた。彼女がきれいになった姿を想像するだけで心が躍ります。
朝のことです。
美容室で髪をセットしてもらいきれいになった美良来流です。
ズボンをみてびっくり、ジーパンをはいています。初月給で姉にジーパンを ユンケルがプレゼントです。
「きれいになったね」と言われ「ありがとう」と返事した美良来流です。
母が亡くなり美良来流は「ありがとう」の言葉はいったことはありませんでした。
美良来流
お化粧するようになりました。
鏡をみることがなかった彼女が化粧までするようになった姉をみてユンケルはこみ上げるうれしさで涙をこらえていました。
先日は私の友人が美良来流に洋服のプレゼントしてくれました。
髪をセットしてくれる人、メイクしてくれる人、洋服をプレゼントしてくれる人、ピアノを教えてくれる人と美良来流応援団が増えてきました。
美良来流の頑張りに応援したくなるんだね。
5分間の皿洗いを一枚も割らずにできたとの自信から、できることが広がっていきました。
12月19日くくるとくくる
21日の西口賢治遊書ライブでの練習頑張りました。
聾者の純子さんのドラムと心の病ある美良来流のピアノが見事に調和しました。
言葉が通じないハンデイを心の病あるメンバーが手話を覚えてくれました。
心の病ある人の微妙な心理の変化を耳の聞こえない人が理解しょうと努めてくれました。
お互いに心を分かちあい、心を一つにしたときに耳が聞こえないハンデイと不安定なこころのハンデイを乗り越えることができました。
最後は心でした。
12月25日の琉球新報にくくるバンドが掲載されています。
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内容を要約して紹介します。
支え合い奏でる”奇跡”
ろうあ者と統合失調症患者でつくるくくるバンド
心に刻むリズム 体で表現
聴覚障がい者と統合失調症患者が北中城村和仁屋の手話カフエくくるを拠点に、お互いに支えあいながら音楽演奏に取り組んでいる。
音楽とは無縁だと思っていた耳の聞こえない女性がリズムを刻んで踊り、心の病で外出できなかった姉弟が人前で演奏することで回復に向こうという奇跡の音楽を奏でている。
くくるバンドは今年2月に結成されの聴覚障がい者Mさん(聴覚障がい者)Aさん(聴覚障がい者)統合失調症のU(統合失調症)きょうだいとMsの平安さん、伊波さんが演奏を支援する。
ボランテイアで音楽指導しているのはサウンドデザイナーの湧上さんで毎週水曜日に練習を重ねている。
湧上さんは純子さんから「音楽はきらいだ」と聞かされ「だったら好きにさせてみたい」と思い、純子さんにドラム演奏などを指導している。
Uきょうだいは昨年夏に同カフエを訪れた。それを機に15年間外出できなかったUさんは今年8月から店で働くようになった。
最初は5分しか続けられなかった皿洗いも今では一時間以上こなしている。
姉のUさんも26年間自宅に引きこもっていたが、現在は毎週月曜日の昼に同店でピアノを弾いている。
練習ではUきょうだいが独学で学んだ手話で聴覚がい害者の女性3人に演奏を助言するなどして互いに支えあって技術を高めている。
女性たちは耳が聞こえないものの、刻まれるリズムの鼓動を体で感じて踊りも披露できるようになった。
琉球新報のコラム金口木舌にくくるバンドが紹介されていますよ。
~金口木舌~(琉球新報 2011年12月28日)
あるロックバンドの演奏を聴いた時のこと。演奏技術も歌唱力も申し分ない。でも心に何も響いてこない。なぜだろう。歌手は終了後、客席に目もくれず無愛想のまま会場を後にした。
▼商売だけで舞台に立っているようだった。感動しない理由が後日理解できた。正反対の出来事に遭遇したからだ。ぎこちない楽器の扱いと歌なのに人々が涙を流しながら聴いている。
▼耳の不自由な女性たちが振動だけを頼りにドラムをたたき、踊る。統合失調症の姉弟がピアノとギターを弾いていた。北中城村和仁屋の手話カフェくくるに集まる人々で結成した「くくるバンド」の演奏だ。
▼週に一度の練習では、病で長年自宅に引きこもっていたきょうだいが、手話を学んで聴覚障がいの女性の演奏を手助けする。女性たちは自宅を出て店に顔を見せることができた2人を励ましてきた。
▼足りないところを互いに支え合う思いやり。その気持ちが音色に溶け込んで聴衆の心に届いていたのだろう。音楽は嫌いと思っていた女性が今では笑顔で「心地よい響きが安らぐ」とスティックを握る。
▼「感情のない世界で生きてきたが、初めて楽しい気持ちが芽生えてきた」と語る姉。幻聴が聞こえなくなった弟は「私には音楽があり、仲間がいる」と言い切った。奏でる姿にレンズを向けていたら、音楽の持つ力と奇跡を感じ、熱いものが込み上げてきた。

2012年1月5日
近くの高校生が応援にきてくれました。
18日、東京から高校生が修学旅行でくくるにきます。
昭和の高校生の私達です。現代の高校生のフイーリングがわかりません。
そこでバンド経験ある高校生にアドバイスしてもらいました。
高校生からみてもおもしろいとのこと。
がんばるぞ。
1月18日 東京都立中央ろう学校修学旅行生の前で ユンケルとミラクルが堂々とスピーチしました。
こんにちは。ユンケルです。
私は中学高校はサッカーで体を鍛え卒業後は水道工事などの仕事をしていましたが23歳の頃、神経質になりすぎて心のバランスが崩れ統合失調症となり家から出ることができなくなりました。
病院の職員が何度も家庭訪問してくれました。
私が病院のデイケアーにいけるようになるまで10年かかりました。
去年の夏ごろ、くくるに来ました。
くくるの自然環境と穏やかな雰囲気に、ここで働きたいと思いました。
でも、病院は働くことを許可してくれませんでした。
病気になり、働いたことがなく、5月には入院していました。
それでも私は、自立したい、働きたいと思いました。
手のしびれが止まりませんでした。
すぐに病院にいき、薬を調整してもらい手のしびれは止まりました。しかし、その薬の副作用で落ち着きがなくなりました。
病院にいき調整してもらいました。
自分に合う薬に出会うまで何度も病院に通いました。
医者は、薬の管理ができるようになった私を働くことの許可をしてくれました。
9月に宜野湾市福祉祭りにくくるバンドで出演することになりました。
それに向けてみんなと一生懸命練習しました。わくがみさんから音楽を教えてもらえることは、一番の楽しみでした。わくがみさんの音楽理論、技術に新鮮な驚きがありました。
15年間、家からでることができなかった私が、わくがみさんに会えることが楽しくなり、家から出ることが楽しくなりました。
耳が聞こえなくても、ドラムの響きで音を体で感じ、あきらめない純子さん、英子さんに、心に響くものがありました。
最初は5分の皿洗いも辛かった私ですが、今では一時間皿洗いできるようになりました。
くくるにきて、あれほど辛かった幻聴、幻想は一度もありません。眠れない日々が続くこともありません。
しかし、薬なしでは、眠ることができません。病気との闘いは続きます。
私には音楽があります。仲間がいます。応援していただける皆様がいます。夢があります。みなさんの激励のおかげで家からでることが一番の目標だった私が、毎日、くくるにきています。
これからも、ゆっくり、ゆっくりですが、一ミリでも前に進んでいきたいと思いますので応援宜しくお願いします。
こんんちは美良来流です。
私は17歳の時、不眠症から心の病となりました。
高校は中退し母親と買い物行く以外は家に引きこもるようになりました。
平成15年に母が亡くなり弟と二人だけになりました。
一緒に買い物にいく母が亡くなり精神障害1級になりました。
無気力で喜ぶこと泣くこと感情のない世界に生きてきました。
去年の夏頃、くくるにきてうどんちゃんとの出愛いがありました。
うどんちゃんは私がどんなに無視をしても「ネーネー元喜ねー」といつもやさしく声をかけてくれました。うどんちゃんの明るさと思いやりに凍りついていた私の心がすこしづつ溶け出してきました。
うどんちゃんと会えることが楽しくなりました。
病気になって初めて楽しいとの気持ちが芽生えました。
9月に宜野湾市福祉祭りにくくるバンドとM‘sで参加することになりました。
私も仲間に入れてほしい、音楽をしたいとおもいましたが誰も声をかけてくれませんでした。
私には無理、無理をさせてはいけないと思っていたと思います。
そんなある日、うどんちゃんが「やってみる、無理しなくていいよ」とタンバリンを差し出してくれました。
最初はみんなの輪にはいることはできませんでした。みんなと離れたところでタンバリンを練習していました。
でも音楽が楽しくなり、気が付いたらみんなと一緒に練習していました。
病気になってお化粧したことも鏡もみたことありません。いつも青いジャージにトレパンでした。そんな私をくくるのお客様が私にパーマ、メイクしてくれました。
30年ぶりの美容室でした。私の部屋に化粧水、ムースなどが増えてきて外出するときは鏡を見るようになりマネキュアするようになりました。
くくるのスタッフが「きれいになったね」と言ってくれました。
「ありがとう」とお礼を言いました。
この10数年、ありがとうの言葉をいったことはありませんでした。
最近、ピアノを練習始めました。一分の練習でも頭がボーとしました。でも楽しいんです。
仲間と練習すると音楽が楽しいんです。いつの間にか頭がボーとすることもなく1時間練習できるようになりました。
最近、よく眠れるようになりました。30年間の眠れない辛さ、どうすることもできなかった心の病の苦しみが遠い過去になろうとしています。
薬も以前の半分になりました。
激励してくださった皆様のおかげで幸せになりたいと思うようになりました。幸せなど考えたことありませんでした。
私の夢は病気に負けないことです。その思いを(上を向いて歩こうよ)をピアノでひきます。
聞いてください。


テレビで紹介されました。
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沖縄タイムス、琉球新報に掲載されています。
1月19日~2月15日
放映直後にユンケルから電話があった。
うるとらまん
「テレビみたよ 」
ユンケル
「ありがとう。緊張したけど話せました」
うるとらまん
「あれだけ堂々と話せたらすごいよ」
ユンケル
「自分も話せるとは思わなかった」
うるとらまん
「美良来流にかわって」
美良来流
「はーい}
うるとらまん
「元喜いいね。テレビかっこよかったよ。みんなびっくりしているだろう」
美良来流
「はーい」
美良来流、元喜な声で答えていた。
美良来流、ユンケルは良く頑張ってくれた。夜は外出を控え睡眠をしっかりとり、薬の管理も徹底していた。
しかし
美良来流、ユンケルは風邪をこじらせてしまった。
自分は姉、自分ががんばらなくてはとの気持ちが彼女の微妙な心のバランスを崩してしまった。
姉思いのユンケルも姉のことを心配して調子を崩してしまった。
本当に二人の心はきれいだ。きれい過ぎて調子が狂ってしまった。
寒い2月、外出することは彼らには負担が大きい。そこで2月は休んでもらうことにした。
この記事へのコメント
うるとらまんさん、こんにちは。
ずっと気になってちょこちょこのぞかせて頂いておりました。
記事を読ませて頂き、何とも不思議な感情が胸に込み上げ、自然と涙がこぼれました。
みなさんお一人お一人、それぞれに本当に一生懸命戦っておられる姿に感動と勇気を沢山頂いております。
うるとらまんさんの温かさで、皆さんを包んでおられるます。
すごいです。
皆さん、これからも素敵な仲間と一緒にいっぱい幸せになって下さい。(なりましょう)
突然すいませんでした。
ずっと気になってちょこちょこのぞかせて頂いておりました。
記事を読ませて頂き、何とも不思議な感情が胸に込み上げ、自然と涙がこぼれました。
みなさんお一人お一人、それぞれに本当に一生懸命戦っておられる姿に感動と勇気を沢山頂いております。
うるとらまんさんの温かさで、皆さんを包んでおられるます。
すごいです。
皆さん、これからも素敵な仲間と一緒にいっぱい幸せになって下さい。(なりましょう)
突然すいませんでした。
Posted by かっこちゃん at 2014年01月22日 14:26
コメありがう。応援してね。
Posted by カフェくくる うるとらまん
at 2014年01月24日 15:36

こんばんは!
YouTubeも拝見しました!
凄い、素晴らしい☆
あったかい!
可愛いおめめのうるとらまんさんを再び、沢山見られて、それも嬉しかったっす。
うるとらまんさんの、「音のない世界で生きてきた彼女たちの音と、ずっと引きこもってきた彼らの心の叫びが融合した音楽」という言葉。
素敵でした。
「互いに分かち合い支え合う」って、本当に素敵な事・素晴らしい事だと改めて感じます!
くくるって、蘇生の場所でもあったんすね。
うるとらまんさんの奥様もステキな方っすね(^^)
YouTubeも拝見しました!
凄い、素晴らしい☆
あったかい!
可愛いおめめのうるとらまんさんを再び、沢山見られて、それも嬉しかったっす。
うるとらまんさんの、「音のない世界で生きてきた彼女たちの音と、ずっと引きこもってきた彼らの心の叫びが融合した音楽」という言葉。
素敵でした。
「互いに分かち合い支え合う」って、本当に素敵な事・素晴らしい事だと改めて感じます!
くくるって、蘇生の場所でもあったんすね。
うるとらまんさんの奥様もステキな方っすね(^^)
Posted by みかん。 at 2015年05月07日 21:37
コメントありがとうございます。
新たな夢に向かっていきます。
新たな夢に向かっていきます。
Posted by カフェくくる うるとらまん
at 2015年05月07日 21:41
