くくるの乙女総集編

2010年10月~2013年11月頃までのカフエくくるのブログを家族 ろう者のくくるの乙女バンド  心の病とくくるの乙女にまとめました。 日常の会話はこちらです。http://kukurucafe.ti-da.net/

< 2024年04月 >
S M T W T F S
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
てぃーだイチオシ

家族

父親の学童疎開と闘病生活 親戚 

     


慰霊の日 学童疎開

太平洋戦争末期、学童疎開船対馬丸が魚雷攻撃で沈没し1400人余りの命が犠牲となりました。父はその一週間後に那覇の港を出港しました。留まるも地獄、出るも地獄とはこの事です。
疎開先は熊本県の山鹿町でした。沖縄を発ときの荷物制限で冬物がなく寒さと飢えに苦しみました。帽子を落とし、拾うふりをしてみかんの皮を食べていました。満足に風呂も入れずシラミが発生して空腹を忘れようと早く寝床に就いても、かゆくて眠れない日々もありました。
親元はなれた寂しさ、空腹、寒さに耐え忍んでいることを知った鹿本郡の婦人会が、食料、古着、布団などを届けてくれ父は生前涙ぐみながら感謝していました。

 初めて見る雪に感動し見とれてしまい掃除をしなかった罰として沖縄の生徒全員、冷たい土の上に正座を命じられました。それを2階から見ていた高等科の女生徒が「これを足の下に敷きなさい」とつぎつぎと頭を守る大切な防空頭巾を投げ落としてくれました。霜焼けで素足で汚れた足の下に敷きなさいと防空頭巾を渡してくれた女生徒のやさしさを父は生涯忘れる事はありませんでした。

 遠足のときの事です。弁当がなく木陰で休んでいる沖縄の生徒に気づいた同級生の渕上淳一さんが 皆に呼びかけ弁当を分けてもらいました。父はよっぽどうれしかったのでしょう。慰霊の日には涙を浮かべながら、このことを何度も話してくれました。渕上さんに会いたがっていました。きっと、お礼をしたかったと思います。

 お金を払わず入浴しても見て見ぬふりしてくれたさくら湯の番頭さん、いつも援助してくれた森本商店の森本勝馬さん,紀さん、三玉校長高本義彦さん、引率していただいた照喜納先生、熊本の皆様、父が大変お世話になりました。心より感謝申し上げます。 有難うございました。

父は熊本の人に感謝していました。高校野球は熊本の代表がでると一生懸命応援していました。

慰霊の日には必ず、学童疎開のことを話していました。私は父の遺言との思いで語り続けたいと思います。




父の闘病生活

76歳で父が亡くなった。
トラック運転手を50年間続けた。80歳まで続けることが父の目標であった。村のサトウキビを50年、製糖工場に運んだ。
村の農家で父を知らない人はいない。
幼い頃からトラックに乗り父の働く姿を見て育った。子供の頃はクーラーもなく夏はトラックは暑かった。父は日焼けで真っ黒であった。

そんな父がガンに侵された。最初は大腸ガンで手術した。2回目な肺がんであった。手術はしたものの完全にガンを取り除くことはできなかった。
父は死なないと思った。死なせてたまるかと思った。しかし、ガンは父の体を蝕んでいった。
抗がん治療は効果はなかった。
病院に呼ばれた。厳しい現実を聞かされた。それでも私は父は死なないと思った。奇跡をおこしてやると思った。しかし、酸素ボンベが必要な状態になった。今しかないと思い、父の願いであった弟のいる福島に家族全員で旅行にいった。
弟も良く頑張ってくれた。仕事を休んで観光案内し、おいしい手料理で精一杯の親孝行してくれた。弟には心から感謝している。

旅行から帰り、家で父と過ごす時間を作った。5月頃、父が高熱で病院に入院した。
「延命治療しますか」医者にいわれた。
「家族と相談します」というと医者は、「今決めてくれ、今日か明日かもしれない」と言われた。
私は父の生前の約束、延命治療はしないことを告げた。苦渋の選択だった。
父は肺炎を乗り越えて危篤状態を脱した。

6月頃、病院に呼ばれた。ガンは全身に移転している。痛みが激しくなる。ここでは、これ以上の痛み止めの治療はできない。自宅では無理だ。ターミナルケアーの病院をと勧められた。
痛みが激しくなり、どうしょうもなくなれば先生の指示に従います。それまでは自宅に帰してくださいとお願いした。無理だ。痛みが激しくなる。自宅では無理だと医者は最初は私の願いを拒んだが自宅に帰ることの許可をもらった。

父は車椅子となり、病気が治っていないのに自宅に帰ることの意味をわかっているようだった。
病院からの帰り、大西ゴルフ場から見える自分の生まれ育った村をみて「村はいいな」の一言を私は忘れることはできない。
妹が父の看病に来てくれた。妹が父に聞いたそうだ。「思い残すこと何?」父は何もないと答えたそうだ。
我が人生、悔いはないと言い切れる人生を送った父を私は誇りに思う。
近くの病院で父を毎日見てもらった。痛み止めの薬は準備されていた。しかし、父は体はだるいものの、痛みは訴えなかった。
亡くなる三日前、父の長年の老人会長としての感謝状が届けられた。父はそれを固く胸に抱きしめていた。
そして、7月13日の朝5時ごろ、父の体が急変した。「だいじょうぶ」との問いに{うん」とうなずく父。
これが私と父との最後の会話となった。

医者を呼んだ。医者は病院に搬送したら2日3日生きながらえます。どうしますかといわれた。
私は、畳の上でお願いしたいと告げた。
ちょうど、そのときは台風で妹家族、私の家族、親戚も家にいた。みんなきてもらった。1時頃、父はなんの痛みもなくフーと息をはいて寝るようにして亡くなった。

医者が用意したモルヒネは一度も使うことはなかった。
医者は「こんな安らぎある死相は初めてです。生前の行いが良かったんでしょうね」
親戚から「よく頑張った。親孝行したね」といってくれた。
しかし、心のどこかに、ひっかかるものが在った。もっと、他にやることがあったのではないか。もっと親孝行したかった。生きていてほしかった。
医者は「どんなにやっても心残りはありと思います」といってくれた。

私はその一言に救われる思いがした。

、父が愛した生まれ育った北中城村字和仁屋に貢献することが父が喜んでくれることだと思った。

人にだまされ信用財産を失い、信頼していた人たちから罵倒されていた私を村の区長は公民館建設員に推薦してくれた。
村の人の温かさ、そして、父への村人々の信頼のおかげだとおもった。
私は喜喜として公民館建設に汗を流した。
やがて公民館が完成して公民館の玄関に飾られた村に貢献してきた方々の写真をみて思わず涙が流れた。
そこには、私のおじいゃん、そして、青年会で活躍したいた父、私の写真が飾られていた。
馬鹿な私ではあるが、子供、孫に自慢できると思った。
おじいちゃん、親父、地域貢献する幸せ教えてくれてありがとう。


ハワイの親戚

兄は米兵、弟は学徒兵として沖縄戦で戦う事実に基づいての映画を見た。
その映画をみておじいちゃんのことを思い出した。
私のおじいちゃんは若い頃、ハワイに移民しパイナップルで成功し、第二次世界大戦前に沖縄に帰ってきた。
おじいちゃんには二人の娘がいたがハワイに渡った。
二人の娘、私のおばさんはハワイでお会いしたことがあった。
真珠湾攻撃のとき、ワイキキから、花火と思って楽しんでみていたという。
日系一世は収容所に連行され 2世、3世が呼ばれ日本と闘うか、闘わないかの2者選択を迫られた。
従わないものは収容所、従うものは、徴兵された。
日本語、英語のできる彼らは壕に逃げて出てこない住民に出てくるよう呼びかけるのが彼らの仕事でもあった。

ウチナンチュを一人でも助けたいと激戦地沖縄にきた2世、3世。
ハワイでお会いしたおばさん、多くは語らなかった。いや、語りきれなかった。
両親、兄弟いる沖繩に戦争に向かった日系人のことを、どんな思いだったのだろうか。





2013年7月

今日は両親のお墓参りいきました。ひさしぶりの、従兄弟との再会に喜んでいた息子でした。福島から弟家族がきてくれました。
父親の学童疎開と闘病生活 親戚 

同じカテゴリー(家族)の記事
息子と家族
息子と家族(2013-10-25 16:54)

夫婦のこと
夫婦のこと(2013-10-25 16:52)

この記事へのコメント
山鹿の疎開を調べていて、こちらのブログにお邪魔しましました。思わず泣いてしまいました。お父様我慢強く誠実な方だったんでしょうね。亡くなるまで世話になった方々を覚えていらっしゃって。何が言いたいのかわからなくなってしまいましたがゆっくり
お休みください。
Posted by コーヒー命 at 2014年11月17日 11:11
コメントありがとう。山鹿にはお礼に行きたいと思います。
Posted by カフェくくる うるとらまんカフェくくる うるとらまん at 2014年11月22日 10:45
ブログへのご訪問ありがとうございました。

お父様のお話読ませていただきました。
今書いている記事のおかげで、「伝えたい」という想いが、よく理解できました。

疎開先でいじめられる話の裏で、また逆にそれを助ける人々の話があったこと、心が救わる想いがしました。
Posted by ねねぱぱ at 2015年05月14日 19:53
ありがとうございます。
Posted by カフェくくる うるとらまんカフェくくる うるとらまん at 2015年05月15日 12:37
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。
QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 1人
プロフィール
カフェくくる うるとらまん